Apr 12th, 2025

ビジネスに役立つ経済金融英語 第30回: Attention Economy(注意(注目)経済)


今回は、ここ1年たらずのうちに一気に注目度の高まった「アテンションエコノミー」と、それとワンセットで語られることの多い「フィルターバブル」「エコーチェンバー効果」の計三つを紹介します。まずは昨年の都知事選挙に関する記事から(本稿における翻訳、下線、太字、注は鈴木)。

 

…選挙ビジネスへの対応も迫られる。第三者が再生数を稼げる候補者の街頭演説や映像を切り取ってSNSで配信し、収益を得ているとの指摘がある。注目を集めることがお金になる「アテンションエコノミー」と呼ばれるSNS特有の経済モデルだ。

 

SNSには他にもアルゴリズムにより接する情報が絞られる「フィルターバブル」や、自分に近い意見ばかりに接する「エコーチェンバー」などの特性がある。有権者が得る情報が偏る可能性につながる。

 

(「『石丸現象』第2幕に SNS選挙、偽情報対策は手探り」2025年1月15日付日本経済新聞)*有料記事です。)

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA14CXA0U5A110C2000000/

 

この機会に定義をしっかりおさらいしておきましょう。

 

 

 

 

  • アテンションエコノミー

今月の日本経済新聞「きょうのことば」に解説を見つけました。

 

「アテンションエコノミーとは 閲覧数や滞在時間が価値に」

▼アテンションエコノミー:注目度や関心の高さ自体が価値を持つ経済圏。インターネット上で膨大な情報がやりとりされる状況で個人が消費できる時間は限られるため、人の注意や注目が資源になる。近年はSNSに特徴的なビジネスモデルとされる。

 

X(旧ツイッター)やユーチューブ、TikTokなどのプラットフォームは閲覧数や滞在時間などに連動した広告枠を広告主に販売して収益を得る。プラットフォームはユーザーをひき付けるためにアルゴリズムを使ってユーザーが好みそうなコンテンツを提示する。投稿者や配信者もアクセス数や閲覧時間などに応じて収益が配分される。

・・・以下略・・・

 

(「アテンションエコノミーとは 閲覧数や滞在時間が価値に」きょうのことば 2025年3月17日日本経済新聞)*有料記事です。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUF150MP0V10C25A3000000/

 

要するに、「いいね!」や閲覧数が増えると利益を得る仕組みということですね。以下のUCバークレイの経済論評ウェブ記事には、もっと厳密な定義が紹介されています。

 

21世紀の希少資源としての「アテンション」

Economics is the study of how scarce resources are allocated; whether that is housing, food, or money. However, in an era of endless amounts of information at the hands of our fingertips, what is the scarcity? Unlike the first three examples that can be empirically quantified and measured, our intangible yet extremely valuable attention is the limiting factor: we are in the age of the attention economy.

(経済学は希少な資源がどう分配されるかを研究する学問であり、住宅、食料、金銭といった資源がその対象となる。しかし、指先ひとつで無限の情報にアクセスできる現代において、本当に希少なものは何か?住宅、食料、金銭のように実証的に定量化・測定可能なものとは異なり、数値化は難しくても極めて価値の高い無形の『注意力』こそが制約要因なのだ。私たちは今、アテンションエコノミーの時代を生きている)

 

The American Psychological Association defines attention as “a state in which cognitive resources are focused on certain aspects of the environment rather than on others.” Attention comes in many forms: love, recognition, obedience, and help. Although theoretically unquantifiable, many derive attention’s value from how much time we focus on a particular thing. We face attention’s scarcity every day; while “paying attention” to one thing, we ignore others. Similar to money, we exchange attention; you are reading this article right now and probably ignoring the other work you have to do (sorry for bringing that up).

(アメリカ心理学会は、注意を「認知資源が環境の特定の部分に集中し、それ以外には向けられていない状態」と定義している。注意にはさまざまな形があり、愛情、承認、従順、援助などが含まれる。理論的には数値化できないものの、多くの人は、ある対象にどれだけの時間をかけているかによって、その注意の価値を導き出す。私たちは日々、注意の希少さに直面している。何か一つに意識を向ければ、他のことには目が届かなくなるからだ。注意は金銭と同じように、交換の対象にもなる。まさにこの文章を読んでいるあなたも、おそらく他にやるべき仕事を後回しにしているのではないだろうか(そんなことを言ってしまって申し訳ないが)

 

(Paying Attention: The Attention Economy, Posted On : March 31, 2020 Published By : BER staff(「注意を払え:アテンションエコノミー」2020年3月31日『バークレイ・エコノミック・レビュー』スタッフ

https://econreview.studentorg.berkeley.edu/paying-attention-the-attention-economy/

 

この記事にある通り、アテンション(注意(力))とは、「認知資源が環境の特定の部分に集中し、ほかの部分には向けられていない状態」のこと。そして人は「何か一つに意識を向ければ、他のことには目が届かなくなる」性質を持っています。このアテンションを経済的な価値を持つ「資源」として注目したのが米国の心理学者ハーバート・A・サイモン(Herbert A. Simon)です。サイモンは、私たち一人ひとりが注意という資源をどう配分するかだけでなく、企業や政治家、メディアなどがその注意をいかに奪い合っているかという構図にも目を向けるべきだと指摘しました。アテンションという資源には、情報の受け手だけでなく送り手も、それぞれの立場から深く関わっているのです。以下はWikipediaから。

 

「アテンションエコノミー」という言葉の由来

History

The concept of attention economics was first theorized by psychologist and economist Herbert A. Simon when he wrote about the scarcity of attention in an information-rich world in 1971:

(歴史:アテンションエコノミーという概念を最初に理論化したのは、心理学者で経済学者のハーバート・A・サイモンだ。彼は1971年、情報が豊かな世界での注意の希少性について、次のように述べている)

 

[I]n an information-rich world, the wealth of information means a dearth of something else: a scarcity of whatever it is that information consumes. What information consumes is rather obvious: it consumes the attention of its recipients. Hence a wealth of information creates a poverty of attention and a need to allocate that attention efficiently among the overabundance of information sources that might consume it.
(情報が豊かな世界では、情報の豊富さは別の何かの不足を意味する。つまり、情報が消費するものの希少性だ。情報が消費するものは明白であり、それは受け手の注意であるゆえに、情報が豊かであるほど注意が貧しくなり、過剰な情報源の中で注意をいかに効率的に配分する必要が生じる)

 

He noted that many designers of information systems incorrectly represented their design problem as information scarcity rather than attention scarcity, and as a result, they built systems that excelled at providing more and more information to people, when what was really needed were systems that excelled at filtering out unimportant or irrelevant informatio.

(サイモンは、多くの情報システム設計者が問題の本質を「注意の希少性」ではなく「情報の不足」と誤って捉え、その結果、人々に大量の情報を提供する優れたシステムを作ってしまったと指摘した。しかし、本当に求められていたのは、重要でない情報や無関係な情報を除外する力に優れたシステムであった)

 

Simon’s characterization of the problem of information overload as an economic one has become increasingly popular in analyzing information consumption since the mid-1990s, when writers such as Thomas H. Davenport and Michael Goldhaber adopted terms like “attention economy” and “economics of attention”.

(サイモンが情報過多の問題を経済的なものと捉えた見方は、1990年代半ば以降、情報消費の分析において次第に注目されるようになった。この時期には、トーマス・H・ダベンポートやマイケル・ゴールドハーバーといった論者が、「アテンションエコノミー」や「注意(注目)の経済学」といった用語を用いるようになっていた

 

(Wikipedia “Attention Economy”)

https://en.wikipedia.org/wiki/Attention_economy

 

では、この言葉を最初に体系的に提唱したゴールドハーバー教授の論文 “The Attention Economy and the Net”(「アテンションエコノミーという新たな枠組み」と訳す)から、冒頭の「前文」と「はじめに」に該当する部分の全文を紹介します。ここには、アテンションエコノミーの基本的な枠組みが初めて明確に提示された、きわめて本質的な記述が含まれています(※「前文」「はじめに」のタイトルは鈴木が便宜的に付したものです)。

 

アテンションが支配する新しい経済空間

前文:アテンションが支配する新しい経済空間へ

If the Web and the Net can be viewed as spaces in which we will increasingly live our lives, the economic laws we will live under have to be natural to this new space. These laws turn out to be quite different from what the old economics teaches, or what rubrics such as “the information age” suggest. What counts most is what is most scarce now, namely attention. The attention economy brings with it its own kind of wealth, its own class divisions – stars vs. fans – and its own forms of property, all of which make it incompatible with the industrial-money-market based economy it bids fair to replace. Success will come to those who best accommodate to this new reality.

(もしウェブとインターネットが、人々がますます生活を営む空間と見なされるなら、そこで適用される経済法則は、この新たな空間にふさわしいものである必要がある。そして、これらの法則は、従来の経済学が教えてきたことや、「情報時代」といった概念が示唆するものとは全く異なるものとなるだろう。今、最も重要なのは、最も希少になったもの、すなわち「アテンション(注意(力))」だ。このアテンションエコノミーは、独自の富の形態、スター対ファンという独自の階級区分、そして独自の財産形態をもたらし、これら全てが、それが取って代わろうとしている産業・金融市場を中心とした従来の経済とは相容れないものとする。成功を手にするのは、この新しい現実にもっとも柔軟に適応できる人々だろう)

 

(”The Attention Economy and the Net” by Michael H. Goldhaber)

https://firstmonday.org/ojs/index.php/fm/article/view/519/440

 

上と同じ論文の「はじめに」です。

 

「アテンションエコノミー」という新概念の誕生

Greetings

This is a conference on the “Economics of Digital Information.” My guess is that most of the speakers, and most of the listeners interpret that title to mean that while “digital information” requires special consideration enough to justify a special conference, the basic meaning of the word “economics” can be taken for granted. What we are to be concerned with is how prices, costs, productivity, and so forth apply to digital information.

はじめに:ネット空間における新たな経済法則
本カンファレンスの主題は「デジタル情報の経済学」である。私の推測では、多くの講演者および聴衆は、このタイトルに含まれる意味を、「デジタル情報」は、それだけで特別な会議を開くに値するほど特別な検討が必要とされる対象だが、「経済学」という語の基本的な意味については、改めて問い直すまでもないものと解釈しているのではないかと思う。すなわち、価格、コスト、生産性といった経済概念がデジタル情報にどのように適用されるのか、それが主要な関心事なのである)

 

My vantage point is quite different. What we mean by economics cannot be taken for granted if what we are talking about is the economics which applies, say, to the Internet, or more generally to cyberspace, or more generally still, to life in the foreseeable future. We are moving into a period wholly different from the past era of factory-based mass production of material items when talk of money, prices, returns on investment, laws of supply and demand, and so on all made excellent sense. We now have to think in wholly new economic terms, for we are entering an entirely new kind of economy. The old concepts will just not have value in that new context.

(しかしながら、私の見解はそれとは大きく異なる。インターネット、より広く言えばサイバースペース、さらには予見可能な未来における生活全般に関わる経済を論じる際、「経済学」という語の意味を自明のものとして扱うことはできない。私たちは今、工場を基盤とした物的商品の大量生産が支配していた過去の時代とは、まったく異なる時代へと移行しつつある。そのような過去においては、金銭、価格、投資収益、需給法則といった概念が極めてよく機能していた。だがこれからは、まったく新しい種類の経済に突入していく以上、私たちは新たな経済概念に基づいて思考する必要がある。従来の経済学的概念は、この新たな文脈においては、もはや価値を持たなくなるであろう)

 

Of course, there is nothing so new about the insight that the Internet is part of a revolutionary change in the way we do things and also in why we do them. Many names for the new era have been invoked: the information age, the Third Wave, the move towards cyberspace, all of which point, vaguely at least to the fact that new patterns of activity and of interrelationships among people are now emerging. The trouble with that insight is that it is so vague that you can easily agree with it without feeling the necessity of changing your economic thinking in the least. My effort over the past several years – it’s embarrassing to admit how many – has been to overcome that vagueness, to come up with specifics about what this revolution actually implies. My conclusions are that we are headed into what I call the attention economy.

(もちろん、「インターネットが社会の構造や行動様式を根底から変革する革命の一翼を担っている」という認識は、もはや目新しいものではない。これまでにも「情報化時代」、「第三の波」、「サイバースペースへの移行」といった多様な呼び名が提唱されてきた。これらの名称は、少なくとも漠然とは、人々の活動様式や相互関係における新たなパターンが出現しつつあることを示唆している。ただし、この種の認識には問題がある。それは、あまりにも抽象的であるため、誰もが表面的には同意できるものの、経済的思考を根底から見直す動機付けにはなりにくいという点である。私はこの曖昧さを克服し、この革命が具体的に何を意味するのかを明らかにするために、何年にもわたって――正確な年数を明かすのは恥ずかしいほどだが――努力を重ねてきた。そしてその結果としてたどり着いた結論は、我々はアテンションエコノミーへと向かっている、というものである)

 

(”The Attention Economy and the Net” by Michael H. Goldhaber)

https://firstmonday.org/ojs/index.php/fm/article/view/519/440

 

私たち一人ひとりが向ける「アテンション(注意)」という限られた資源をめぐって、情報発信者のあいだでは、人々の「注意」をいかに多く集めるか、すなわち「注目」(いずれも英語はattentionです。後述します)をどうやって獲得するかをめぐる競争が起きています。

 

2004年にFacebook、2006年にTwitterが登場し、さらに2010年代に入ってスマートフォンが急速に普及したことで、SNSは爆発的に広がりました。このような環境の中で、「限られた注目をめぐる構造」は、アテンションエコノミーとして社会的にも広く認識されるようになりました。

 

興味深いのは、この概念を体系的に論じたマイケル・ゴールドハーバーの論文 “The Attention Economy and the Net”(1997年発表)が、インターネットが商用利用や広告媒体として本格的に拡大し始める直前に発表されていたという事実です。いわば「過渡期」にあたるその時点で、その約30年後に社会問題として顕在化することになる経済システムの展開を見通していたゴールドハーバー教授の慧眼には、驚かされます。

 

こうして「アテンション(人々の注目)を獲得すること」が経済的な意味を持つようになると、それに伴って、情報環境の偏りや閉塞という新たな問題も生まれてきます。

 

特に、SNSの普及により「アテンション(注目)」の構造が一層強化される中で、情報の受け手側にも深刻な副作用が現れています。それが「フィルターバブル」や「エコーチェンバー」と呼ばれる、情報の多様性が失われる状況です。

 

(2)フィルターバブルとエコーチェンバー

アテンションエコノミーに起因する情報環境の問題として注目されるのが、「フィルターバブル」と「エコーチェンバー」です。次は日本経済新聞の「経済論壇」から。

 

SNSと向き合う参院選

 

今年は参議院選挙の年である。選挙運動でSNSが無視できない存在となっており、我々はそれにどう向き合うべきだろうか。

 

ネットが右派と左派の分断を激化させたのか。東京大学教授の谷口将紀氏(中央公論4月号)は、ネット上では誰もが自分の好きな情報ばかりを集める選択的接触と、好まない情報を遠ざける選択的回避が可能である点に着目する。反対意見があらかじめ排除された言論空間では、他者の声によって自分の意見が肯定され強化される「エコーチェンバー効果」が起きる。意図的な選択を経ないまま、自分とは異なる嗜好や思想がフィルタリングされ、個人が選別された情報の泡の中に閉じ込められた「フィルターバブル」の状況になる。ただ、これらが分断の原因であるかは、実証研究では懐疑的な見方も有力であると、谷口氏は指摘する。

 

(「教育支援 次世代へ投資を」慶応義塾大学教授 土居丈朗 2025年3月29日付日本経済新聞)*有料記事です。)

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO87659780Y5A320C2MY6000/

 

 

辞書の定義を紹介しておきましょう。

 

①エコーチェンバー現象(Echo Chamber

Noun(名詞)

・本来の意味:

a room or other enclosed space that amplifies and reflects sound, generally used for broadcasting or recording echos or hollow sound effects:

(音が壁などに反射して、何度も響くように聞こえる部屋や閉鎖空間。放送や録音で、音に残響効果を加える目的で使われる)

 

・比喩的な意味:

an environment in which the same opinions are repeatedly voiced and promoted, so that people are not exposed to opposing views:

an online echo chamber;

We need to move beyond the echo chamber of our network to understand diverse perspectives.

(同じ意見ばかりが繰り返し発信・共有され、異なる意見に触れることがなくなるような情報環境。特にSNSなどのオンライン空間(online echo chamber)で顕著に見られる。

例文

多様な視点を理解するには、自分たちのネットワークというエコーチェンバーの外に出る必要がある)

 

(Dictionary.com)

https://www.dictionary.com/browse/Echo%20Chamber

 

②フィルターバブル(Filter Bubble

a situation in which someone only hears or sees news and information that supports what they already believe and like, especially a situation created on the internet as a result of algorithms (= sets of rules) that choose the results of someone’s searches:

(ある人が、すでに自分が信じていることや好んでいる考えを支持するニュースや情報しか見聞きしなくなる状況。特にインターネット上では、検索結果を決める一連のルール(アルゴリズム)によって、このような状態が生まれることを指す)

 

If we don’t come out of our filter bubble we hear only the news that confirms our biases.

(例文

私たちがフィルターバブルから抜け出さない限り、自分の先入観を裏づけるニュースしか見聞きしなくなる)

 

(Cambridge Dictionary)

https://dictionary.cambridge.org/ja/dictionary/english/filter-bubble

 

(3)最後に:Attention Economyをどう訳すか?

「アテンションエコノミー」を日本語でどう訳すかを考える際、まず理解しておくべきなのは、英語の「attention(アテンション)」が持つ複数の意味合いです。特に、個人の認知資源としての「注意」と、社会的な関心の集まりとしての「注目」という二つの側面が重要になります。

 

  • 個人の認知資源としての「注意」

一つ目は、人が特定の対象に意識を集中させる能力、すなわち個人の「注意」です。授業中に先生の話に耳を傾けたり、複雑な文章を理解しようと努めたりする際の「注意」がこれにあたります。アテンションエコノミーをこの視点から捉えると、個人が持つ限られた注意という資源を、無数に存在する情報の中からどこに、どのように配分するのかという問題が焦点となります。実際、最初に紹介した記事では「注意」と訳しました。実際、この記事の前半に紹介したウィキペディアの記事とゴールドハーバーの論文では、この側面を強く意識していると判断し、「注意(力)」と訳しました。

 

②社会的な関心の集まりとしての「注目」

もう一つは、多くの人々が特定の対象に関心を抱いている状態、すなわち社会的な「注目」です。SNSで話題のコンテンツが多くの人々の関心を集めたり、特定のニュース報道が社会的な議論を巻き起こしたりする状況が典型です。ファイルで言及されているSNSのビジネスモデルは、この「注目」を集めること自体が経済的な価値を生み出すという側面を示しています。

 

このように、「attention」は個人の認知的な「注意」と、社会的な関心としての「注目」という二つの重要な側面を持つため、「アテンションエコノミー」を単純に「注意経済」か「注目経済」の一方のみで訳すことは、その多層的な意味合いを捉えきれない可能性があります。文脈によって、どちらの側面がより強調されているかを考慮する必要があります。

 

一方、新聞などのメディアでは「関心経済」という訳語という訳語も見受けられます。これは、個人の「注意」と社会的な「関心」の両方を含むことを示唆しています。しかしこの語はアテンション(attention)が持つ「個人の注意」という側面から意味が広がり、「interest(関心、興味)」に近い意味合いで捉えられてしまう可能性があります。そのため、私は「関心経済」という訳語は避けた方がよいと考えます。

 

したがって、一般読者向けに分かりやすく、かつ専門的な議論にも対応できる訳語としては、現時点では「アテンションエコノミー(注意・注目経済)」と併記する形式が最も適切であると考えられます。この表記であれば、個人の認知資源の配分という側面と、社会的な注目の獲得という側面の両方をカバーし、読者の理解を助けることができるでしょう。新聞・雑誌やウェブ記事でこの訳語を見かけたら、是非この点を意識するようにしてみてください。

 

私たちが日々消費しているコンテンツの裏には、誰かが私たちの「注意」や「注目」をめぐって戦略的に動いている現実があります。「アテンションエコノミー」を理解することは、単なる訳語の問題を超えて、私たちがこの情報環境の中でどのように生き、選択し、思考していくかに関わる極めて実践的な課題でもあるのです。

 

なお、2025年4月11日付の日本経済新聞では、慶應義塾大学の山本龍彦教授が「SNSで関心奪い合う構造に風穴を」と題し、attention economyを「注意・関心を激しく奪い合う構造」と表現しています。ここで用いられている「関心」は、本稿で述べた「注目」に近い意味合いであり、SNSという文脈においては効果的な訳語といえるでしょう。ただし、attentionの認知的な側面を重視する立場から、私は「注意・注目経済」という併記の表現を推奨しています。関心をお持ちの方は、山本教授の記事もあわせてご覧ください。

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCD023Y20S5A400C2000000/

 

今月はここまで。次は6月末にお送りします。では!

 

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